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わが子の中2時代をふり返って


 先月始まったこの企画ですが、さっそく「面白かったです」という声をいただきました!お子さんと接するのに難しい年頃として、「中2」と限定した書き方をしていますが、ご家庭によってはそれが中1だったり中3だったり、あるいは小6や高1だったりするでしょう。その意味でいろいろな方に頷いていただけるお話だったのではないかと推測します。
 さて、第2回目の今回は、知命の50歳を数年後に控えたY先生の体験談です。

 ご感想などありましたら、ぜひ「声を聞かせてください」のコーナーからお声をいただければありがたいです。


娘に対しては『不即不離(付かず離れず)』

 今年5月、娘が「私の小中学生時代って扱いづらい娘だったよね。」と口にしました。
現在、学生講師として自ら小中学生に指導する体験から感じたようです。
もちろん表情には出せませんが、私にとって19年間の娘に対しての葛藤が報われたと思える瞬間でした。
 中学受験では何とか合格したものの、人に言えないようなことも多々ありました。
たとえば、小6の5月、親には理解しかねる理由で、「塾に行きたくない。中学受験はやめる。」と切り出され、「勝手にしろ!」と心の中で激怒していたことも、その後、8月に「やっぱり中学受験したいです。」と言われ、「好きにしろ!」と深く考えることもなく再度受験を許したこともあり、父親としては大いに振り回されていました。
ですから、中学入試日にたどり着いたときは、安堵感だけが強くありました。
   そのような子育て経験をしていますから、中学入学後は成長した娘の姿を見たいと思うのは至極当たり前です。本人よりも親の方が期待に胸を膨らませていたのかもしれません。   ところが、入学直後から、話題にあがるのは友達関係のことばかり。勉強の「べ」の字も出てこない状況です。元気に楽しく通学してくれることだけでもまずはよしとするべきなのかもしれません。学業優秀に…というのは望みすぎかと。
  「まずは学校が楽しくなるまでは辛抱だな…。」と自分自身に言い聞かせながらの日々、よもや中3までそのような状況が続くとは思いませんでした。
 また、中学生になり、娘の扱いづらさだけは順調に逞しく成長…。父親として、新たな試練の到来です。
  気に入らないことがあれば鉄仮面に豹変。
  強い声色で改善指摘すれば鋭い眼光を発射。
  都合の悪いことが話題にあがればマイルームに速攻避難。
  なのに、
  ねだるときだけ天使の笑顔で急接近…!?
  私も子どもに接するプロのはしくれ、引き下がるわけにはいきません。
基本的なスタンスは…、
  褒めることができる瞬間に多くの会話時間を割く。
  伝えておきたい人生示唆はタイミング・短時間勝負で毎回伝達、サブリミナル効果。
  母親とは違う距離感を保つ。
  娘が自分を必要としている時は必ず応える。
果たして功を奏しているかどうかは判断がつきませんが、冒頭の娘からのフレーズが聞けたことで、「良くやっている方だよ…。」と言われるかもしれません。(了)


わが子の中2時代をふり返って


 子育てで一番つらい(つらかった)時期は?という質問に、みなさんはどうお答えになるでしょうか。
 0歳児のときの、昼夜問わず2時間おきに授乳していた時期、という答えもあるでしょうし、2歳からの第1反抗期と言われる時期に手を焼いたという方もいらっしゃるでしょう。
 そんな中、たいていの方がうなずかれるのが「中2の時期」ではないでしょうか。
 そこを乗り越えた方にとっては、苦くも良い思い出かもしれませんが、「今、その真っ最中だ」というご父母にとっては、心労の絶えない日々ではとお察しいたします。

 今回の企画は、そんなご父母へ、少しでもお役に立てれば幸いとの気持ちから、Qゼミスタッフの子育て苦労話をご披露差し上げることにいたしました。
 第1回目は、Qゼミ指導歴歴30余年を数える、A先生の体験談です。

 読後、ご感想などありましたら、ぜひ「声を聞かせてください」のコーナーからお声をいただければありがたいです。


 「うるせぇ~!」中2になった息子が言い返してきた。腰を抜かしそうになった。その時、父親である自分はどんな表情をしたのだろうか。怒りも悲しさもなく、ただ驚いたというのが本音だった。確か、何か勉強面で「お説教」している時だったと思う。
 塾の先生という仕事柄「プロ」として子どもの気持ちを理解してきたつもりであり、とりわけ学習面では適切なアドバイスをしてきたつもりであり、更に言うなら(恥ずかしながら)「父親」としての自己採点も「高い方」と自負してきたつもりだった。
 その時の自分は、「コレ」を「成長過程」などと客観的に捉える余裕はなかった。驚きととまどい、そして後を追って、これまでの自分の接し方に対する自信喪失の気持ちが湧いて出ていた。
 しばし「冷戦期間」があったと思う。確かに「アレ」を境に親子関係は微妙に変化したと思う。また、父親と母親の役割も変化したと思う。(特に「作戦会議」はしていないが)一言で言うなら、知らず知らず「過干渉」になっていたのだろう。「親」とは「木」の上に「立」って「見」ると書く、そんな古の習いができていなかったんだろう。親の見立てよりも、実は成長していたのだろうか。世に言う「反抗期」とはこのズレから起こるものなのだろうか。
 果たして2年後の今、まだまだ「"後期"反抗期」といったところだが、「冷戦」はとうに終戦し、以前とは違う父子関係が新たに形成されている。まだまだ双方にも不満はあるのだろうが、木の上に立って見る余裕が多少は生まれてきたように思う。これは親としての自分も成長している証拠なのだろうか(笑)。それにしても「親稼業」は我慢の連続だ。自分も、そんな我慢を自分の親にさせてきたのかと思うと今は恥ずかしくなる。でも、この我慢も悪くはないな、とも思えるようにもなってきた。これは何とも説明し難い不思議な気持ちでもある。振り返れば、あっという間の出来事なんだろうし。(了)